2ch BBS の「【ひぐらし】作品批判スレ【うみねこ】」に書かれている批判意見テンプレートに逐一ツッコミを入れてみた。
2ch BBSで指摘したとしても分量が多すぎてまともに読まれないか、「信者乙」で流されることが予想されるので、ここに記す。
うみねこep5で指摘された問題点
ミステリー関連
■本物のノックスは5条で中国人を禁止している。
(=謎の中国人が「私、秘術使えるアルヨ」と怪しげな呪術で殺人をしたという中途半端なミステリが多かったため。
江戸川乱歩も5条については「西洋人には中華人は何となく超自然、超合理な感じを与えるからであろう(探偵小説の定義と類別)」との解釈)
これを類推解釈すれば魔法使いも禁止となり、ステイルメイトしかねない。
よってプレイヤーからはゲームの構造上、ノックス遵守など主張できなかったのは当たり前のこと。
にもかかわらず、5条を欠番扱いするわ大幅に都合のいいように独自解釈したノックスを出して良い気になっている厚顔無恥さ。
→「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」作者は5番を欠番扱いにしたのだろう。
独自解釈の「ノックスの十戒」が登場するのも、乱立可能な解答を絞るために転用したに過ぎない。
そもそも作中で「これは20世紀初頭の小説家ノックスの定めたルールである」と述べられて登場人物が議論しているわけではないし、「本作はノックスの十戒が守られている」と作中で明言されたわけでもない。
「良い気になっている」というのは悪意に基づいた偏見。
■ノックスの十戒をもちだして推理可能だと信じればよかったなどといいだすも、肝心のノックスが『竜騎士定義のノックスであり本物とは異なる』ために、
『読者からルールが想定不可能』、『誰がお前独自のノックス十戒定義なんてしるか』
→「ノックスの十戒をもちだして推理可能だと信じればよかった」と作中には書かれていないので、前提から間違っている。作中に書かれているのは全く逆で、「ノックスの十戒が通用するとは限らない」と書かれている。
■謎にたいしてノックスやヴァン・ダインを持ち出して挑むという趣向自体が、日本三大探偵小説である「虚無への供物」にて行われていたことだが、
それから四十年以上の時が流れ21世紀に作者が行ったことは、ルールを作者に都合のいいように改変したことと、女の子にしたこと。あまりにも程度が低い。
→『虚無への供物』は日本三大探偵小説ではなくて日本探偵小説史上の三大奇書と言われているのでは? それはともかくとして、「ノックスの十戒を作者の都合のいいように改変したのは実在の人物ノックスに対して敬意がない」と批判するならもっともだが、改変そのものは作劇上の道具として作品内に留まる限りは不具合はない。女の子キャラ化についても同様というか、趣味の問題だろう。
■隠し扉があるかどうかを前もって検証しておかなければ、そもそも「謎が生まれない」以上、ミステリ以前の問題であり、ノックスがあるから隠し扉があるか検証する必要がないという指摘は正確ではない。
地の文などで隠し扉がないと示すか、あるいは作中の謎を捜査する側の人物により隠し扉がなさそうと示すなどで、隠し扉がないことを予め示しておかずに、
解決編で隠し扉がありました、ではそれは駄作ミステリ。
→本作がミステリを自称するならそのとおり。しかし本作はミステリを自称していない。そして、解決編で「隠し扉がありました」という種明かしはされていない。あたかも隠し扉をトリックとして使ったかのように誤読されかねない文章である。
(事実認定としても問題がある。作中で隠し扉があるがあるか検証する必要がないという主張が通ったのは、ノックスの十戒にあるからではなく、「隠し扉が存在しない」というルールが作中設定「真実の赤」で保証されたからである。)
■「フーダニット・ハウダニット・ホワイダニットはミステリの三点セットです」という、
竜騎士がインタビューで言い出して、ほかの人は誰もいってない言葉が一般論とされて、ヱリカが使っている。
→作者は「ミステリ」という単語を一度も作中でも作外でも使っていない。使っているのはすべて「ミステリー」という広い意味を含有する単語である。
フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットは三点セットというより三類型というのが批評言語としては正確なのだろうが、誤用されていることもしばしばある。
ただ、ミステリについて深い知識がなく、ミステリマニアに揚げ足を取られやすい不正確な記述を行ったという点では作者の落ち度だろう。
■作中で出てくるミステリーの死亡人数に対する豆知識は藤原宰太郎『真夜中のミステリー読本』の
「大量無差別殺人を除き、もっとも死体が出てくるのはアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』の10名である。国内では、坂口安吾『不連続殺人事件』、島田荘司『占星術殺人事件』の8名である」から引用した疑いが濃厚。
→『真夜中のミステリー読本』を読んでいないので疑惑については不明。ただ、確かに死亡人数について言うと私の知ってる限りでも清涼院流水の『コズミック』の方が多いので作中の記述は誤りである。
■竜騎士のミステリ用語の解釈が、それまでのミステリの歴史とは大きく異なる解釈をしているため根本的にずれている。
→これは正しい。ただ、ミステリマニアではない人がミステリではないものに対して使う場合の解釈としては許容範囲だと思う。
推理関連
■食堂組にはアリバイがある。楼座が食堂を出たのは午前1時の小休止。と示しておきながら
第一の晩の6人が1時までに殺されたことを示そうとするヱリカの無理のある立証に、裁判中誰一人として突っ込みが入らず終わる事が不自然。
判決の主文ですら1時までに殺されたとなっているのに、ドラノールの報告の内容は異なっている。
→これは正しい。ただ、正確には楼座が食堂を出たのは午前1時「頃」であるし、犯人がゲストハウス2階に午前1時までに侵入できるかどうかが問題で、侵入できなければ殺害もできないため、致命的なミスとまでは言えない。ミスではあるから完結までに修正した方がいいが。
■夏妃が犯人の可能性がある、戦人が犯人の可能性がある。どちらか1つに確定できないから「魔女幻想が存在する」という言い分が駄目駄目。
どちらの主張にせよ人間がトリックを使って行ったと全て説明できるのだから、魔女幻想など必要ない。
→「確定できないから魔女幻想が存在する」という主張は作中に存在しない。また、「夏妃は犯人ではない」「戦人は犯人ではない」という赤字より、夏妃犯人説も戦人犯人説も成立しないため、魔女幻想そのものは存在する余地がある。
シナリオ関連
■魔女を否定することを期待されていた主人公が魔術師になってしまった。
→読者の意表を突く展開ではあるが、作中で辻褄が合っていれば何の問題もない。
■頭がよくない無能に描写されてきた戦人が、的外れな青字を繰り返した真相とは遠い白紙状態の場所から、突然全部の謎が解けた状態へと転移。金字まで使い出す超展開。
これでは自力で謎を解いたとは言い難い。物語の要請に従って、作者から答えを教えてもらったカンニングやチートという感想しか持てない。
→確かにこれは唐突である。好意的に解釈するならば、戦人がすべてを知ったその直前の問答と思考が最重要であると作者が暗示しているのだろう。
■戦人がどのようにしてベアトの謎を論理的に解いていくかという過程に楽しみがあるのに、
謎を解いてしまった結果、プレイヤーが推理しなくてもあとは戦人が勝手にしゃべってくれるだろ、みたいな雰囲気に。
→戦人に期待するのはプレイヤーの勝手で狭量な思い込みである。本作は(本格)ミステリを自称しているわけではないので、必ずしも論理的に謎が解かれる必要はない。それに、作者は探偵役に解答を述べさせる以外の別の表現手段によって謎の解答を示すことが禁じられているわけではない。勝手にそのような縛りを設けることは、作劇の可能性を狭めてしまう。
■妹がベアトを倒し帰ってきて、と発破して死んだにもかかわらず、それでもベアトを介護する戦人に、
ep4までの流れや縁寿はどうしたという批判や疑問、違和感が噴出。
→EP5の時点では確かに疑問や違和感がある。しかし、作者が戦人の行動に必然性があることを完結までに描写すれば問題はなくなる。
■ベアバト派に媚びた創作姿勢、過剰なカップリング描写、甘々なボーカルソングにうんざり。
→ベアバト描写、カップリング描写に必然性があることを作者が完結までに描写すれば問題はなくなる。むしろ、そこまでしつこく描写されているということは何か重要な意味があると考えた方がよいのでは。ボーカルソングについては演出論であるから、様々な見解があるだろう。
■「戦人の青き真実なんて、ほとんどハズレてるわよ! ベアトのヌルい赤なんて隙間だらけだもの」と廃人化してゲーム投げ出すベアト。
これでは結局ベアトがやる気をなくしただけ、ということで縁寿がベアトに最後まで戦えと発破をかけて死んでいったのが全くの無駄に。
→縁寿が発破をかけて死んだのはベアトのためではなく戦人のためである。そして、廃人化したのは戦人がベアトの期待に応えられなかったからである。
■ワルギリアが「戦人は犯人ではない」だの助言するが、EP4後のあやしい人物投票1位にまでなった人物の白か黒かが、単なるネタバレの一言で片付けられてプレイヤーはがっかり。
→あたかもプレイヤー全体ががっかりしたかのように語っているが、それは貴方個人のことでは?
■ベアトは瀕死で苦しんで最後には死にました。次のゲームマスターは戦人です。
さあ皆さん、戦人の出す謎に挑戦しましょう。読者が悪者という流れで推理気力が減少する。
→読者が悪者とは明示も暗示もされていない。
■今回の「お前らひぐらしでノックスノックスうるさいからノックスだしてやったぞ」で竜騎士いいたいこと全部いえたろ。
→それが作者の言いたいことの全部と断定する根拠は何? 『うみねこ』が『ひぐらし』で作者が受けた非難を作品に織り込んでいるのは確かに作中で伺えるが、そのこと自体が作品のテーマと断言するにはあまりも根拠がなさすぎる。
■作中やインタビューで登場人物が多いことを自慢しているが、半数は名前がついているだけの空気キャラだった。
しかも何人その場にいても作者に洗脳されたように思想が1つにまとまっていることが多いので沢山いる意味が無い。
口調で区別をつけなければ判別がつかないレベルなのだが、ついに法語なるものまで飛び出したのには失笑する。
→自慢しているというのは不適切な物言いであるが、登場人物が多いためにエピソードによって存在感のないキャラクターが頻出しているのは確かに批判の余地がある。
■とりあえずキャラをいじめておけば「かわいそう」ということで人気が出るだろ、という昔からのワンパターンテクが炸裂。
悪役も、さらなる悪役にいじめさせればOKとか、それしか出来ないのか。
→根拠がなく悪意に基づいた偏見。
■とりあえずキャラを高所から転落させれば話が作れるだろ、という昔からのワンパターンテクが炸裂。今回は使用人と赤子。ひぐらしから数えて、いったい何人を高所から転落させているのか。それしか出来ないのか。
→それを言い出すと、「とりあえず人を死なせれば話が作れるだろ」という物語が神話の時代から世の中には多すぎる。
事故か他殺か自殺かが不明瞭という点において、高所からの転落というのは作劇上便利なのだろう。
■ep5で明かすつもりだった金蔵死亡を、すでに推理されていたためにep4で明かしたにもかかわらず、ep5で金蔵死亡についての論戦を行っても、退屈極まりないだけ。
戦人がクライマックスの切札としてつかった金字も金蔵死亡の保障だが、それがep5単体だけでは何か重大な新事実が明らかになったとは言えず、退屈である。
→金蔵が死亡している事実そのものが問題なのではなく、その事実に基づいて長男一家や使用人等がどのように思考・行動していたかが作中で描写されたことがEP5の重要な点である。そしてEP5の論戦は当初は金蔵の死亡をめぐる事柄ではあったが、次に主題が夏妃の冤罪に移っており、そこで新たな「赤き真実」が発生することに意義がある。
■展開編で、そろそろ幻想描写がはがれて下位世界の人間たち中心になるかと思ったら、ベルンやラムダが出ずっぱりで本編とお茶会と裏お茶会の区別すら不明瞭。
裏お茶会で登場人物の口を通した竜騎士の持論語りを延々聞かされる苦痛。
→幻想描写がはがれて下位世界の人間たち中心になると期待したのは貴方の勝手。個人の不満、感想としては間違ってはいないが。
登場人物の口を介して作者の持論が語られるのは名作にもあるので、一概には否定できない。それは脇に置くとしても、延々聞かされるというほど分量は多くない。
■金蔵の死を暴いてはいけない秘密として描写しておきながら、主人公自らがそれを金字で証明しずっと隠していた夏妃がお礼を言う展開の矛盾。
また、前提として死亡隠蔽を美談として書く不自然さ。
→夏妃は礼を言っていない。作者を死亡隠蔽を美談としても書いていない。死亡隠蔽の報いとして夏妃を冤罪で苦しめている。
キャラクター関連
■ep4後人気投票後のインタビューで「ベルンカステルはなぜこんなに票を集めているのかよくわからない(笑)。いや、わからないことはないのですが、それでもちょっと票を集めすぎですね。
もうちょっと低くてもいいんじゃないかな(笑)」 と発言した後、
ベルンはep5での言動により人気が急降下。人気投票を意識した露骨な「調整」が浮き彫りに。
→根拠が明らかでないにも関わらず、連続して発生した事象に因果関係があると思ってしまうのは人間の悪い癖である。
■しかし新キャラの名前からして古手梨花劣化コピーの古戸ヱリカは上位に食い込んでおり、ベルンを転落させた意味が無い。
→名前以外に古手梨花とは全然似ていない古戸ヱリカが上位に食い込んだところで作者は困らないだろう。
作者の姿勢への批判
■ノックスのこと知らないの? と竜騎士が勝ち誇ったように使いまくってるけど、ひぐらしの後の作品なんだから謎の病原菌や特殊部隊を思考の隅に置くのは当たり前。
なのに作中で鬼の首をとったようにそういう推理をしていた人を馬鹿にするセリフを延々キャラに言わせる。
→「勝ち誇ったように」「鬼の首をとったようにそういう推理をしていた人を馬鹿にする」というのは悪意のある偏見、曲解である。そもそも、思考の隅に置くのは自由だが、作者が同じネタを2回も使う人物と仮定すること自体作者をバカにしているし、ジョークとしてではなく本気でその説を中心に推理するのはプレイヤーとして芸がない。
■解いてみるか→まだ解けないの?特殊部隊とか何言ってるの?w
→お前がひぐらしでそれをやったから考慮に入れたんだろ。もう知らんわ。
→これは解ける問題なんですよ。何で解いてくれないんですか?→泣き事と意味分からない例え話。
→偏見、曲解、読解力不足。
■そもそも推理可能か不可能かわからんうちから真面目に謎に挑んできたのに
「推理可能だと信じてなかったんだろ? それは愛がないね。推理可能だから推理してみな!」とか、プレイヤーを馬鹿にしている。
→偏見、曲解、読解力不足。作者の言いたいのは、「EP4までの間に、推理可能であることを示唆する表現を入れておいた」ということだろう。
■プレイヤーは推理可能だと信じていなかったから謎が解けなかった、よって俺を信頼しないのが悪い。俺に対して愛がないのが悪い、という作者の説教に。
→偏見、曲解、読解力不足。
■たとえep5で「解けるように作りましたよ」なんて親切丁寧にいったとしても、
同時に「読者のバーカ! 作者の俺は偉い!」なんて書いてあるミステリの謎なんて解こうとは…。
→そんなことは作中のどこにも書かれていない。そして本作はミステリを自称していない。
■梨花や幼少時の鷹野そっくりなキャラ(声優も同じ)が、雛見沢症候群や山狗やH173などを「馬鹿みたいそんなの正式なミステリーじゃない~」と貶し、ひぐらしからのファンがショック状態。
それにひぐらしやって無くてうみねこやってた人にとって最悪のネタバレでもある。
入江が「山狗」と発言した時点で、症候群と特殊部隊と薬物が確定してひぐらし終了。
→「正式なミステリー」が本格ミステリやミステリを指すのであれば事実だし、『ひぐらし』からのファンには既知の話題だからショックを受けるまでもない。
『ひぐらし』を未プレイの人にはネタバレではあるが、『ひぐらし』を読むまで僅かなそのくだりを覚えているかどうか確実ではない。それに覚えていても「綿流し編」のトリックや、ホワイダニットの謎を目的に読むことが可能。
■ミステリの探偵をヱリカという登場人物を通して揶揄する態度と、その程度の低さ。
しかもひぐらしをミステリーじゃないと叩いた人間をモデルにしたようなキャラ。
そんなヱリカを作品の中で倒して自分を肯定するってどんだけ幼稚なんだ。
→ヱリカが探偵小説の探偵役を戯画化・揶揄したものであるのは確かだが、それ以外の点は曲解だろう。その論を認めるならば、「貴方は作者を批判することで自分が偉い人間になったかのような気分になっている」と言われても反論は難しい。
■登場人物の口を借りた、竜騎士の自己擁護と批判者批判、恨み節ばかり。
作者が自己優位性を確立するためにつくった、作者の性格がにじみでた作品となっている。
→ひょっとしたら貴方は前作で非常に不愉快な思いをしたのかもしれない。それには同情するが、自分の言葉がそのまま自分の発言に当てはまるところはないか、自己を省みることをお勧めする。
うみねこep6で指摘された問題点
ミステリー関連
■「ここまでは全部創作の作り話で文章上の出来事です」
これによって今までの物語、全ての信憑性が崩壊してしまった
→EP1の時点で創作の可能性は明確に提示されているので崩壊などしない。
シナリオ(物語)関連
■トリックのために登場人物を動かすので、登場人物の動機が理解不能
→想定外の探偵役が犯人となった段階で下位世界は混沌としてしまう。
■今までを全部創作にしたため、人物描写が空中浮揚
→下位世界が創作である可能性はEP1の時点で提示されている。1986年10月4日から5日まで以外の部分が創作かどうかは明確ではない。
■竜騎士の頭がロジックエラーしてるから登場人物が無能に見える
→貴方の頭がロジックエラーしているから無能に見える可能性もあるぞ。物事は多角的に検討してみよう。
■魔女の不在を証明する役がいつの間にか魔女の仕事に
→必然性があれば問題ない。もちろん、最後まで必然性が描写されなければ批判の対象になる。
■また作中の登場人物の口を使って読者批判
→作者が読者に喧嘩を売っていると解する自分自身が短絡的思考に陥っていないか、落ち着いて検討してみては如何だろうか。まあ、確かに八城の発言は、作者の本心ではないとしても曲解されかねないリスキーな表現ではあるので、わざわざ地雷を踏みに行く作者は趣味が悪いと思う。
■また新キャラか!
→作者は孤島ミステリーなのにキャラクターが増えていくというおかしさを重視しているのだろう。わざわざ自分で絵を描く手間を増やすほどの価値をそこに見出しているわけだ。それが成功しているとは言わないが。
うみねこ全体を通しての批判(暫定)
■中身が無いのに文章の水増しが多すぎて、だれる
→どの部分を指して水増しと言ってるかどうかは分からないが、紙媒体の小説やゲーム媒体の外注シナリオとは違って文章量でギャラ(本人の金銭的利益)が決まるものではないし、文章量の多さを売りにした作品でもないので水増しする意味がない。個人的な感想だが、文章よりもむしろつまらない魔法演出(シュワーン、ガキンガキン、ビュシューン)が多すぎてだれていると思う。
■作中の登場人物の口を使っての読者批判が不愉快
→前述のとおり。
■竜騎士の文章力がないから読んでいて、苦痛
→確かに一流の文筆家と認識されている人ほど文章力があるとは言えない。しかしこのレベルを苦痛と言っていると、2ch なんかに書かれた文章など読むに堪えないはずだが……。
■結論からすると物語として、つまらない
→つまらないかどうかは個人の受け取り方なので自由。批判というよりただの感想。
■内容のない話を、演出術やいらぬ例え話で引き伸ばしているのだが、今回はまさにその総決算ともいえる酷さ。
話としては第一の晩で終り、あとはほとんど全部カップル妄想話、カップル好きな人以外は本当にうんざり。
こんな水増し話を面白いと自画自賛とか普通の感性ではできない。
→好き嫌いで断じる前に、カップル話が多いということはそのシークエンスが作品としてよっぽど重要な意味を持つという可能性を検討して読解するべきだろう。
■朱志香のひぐらし目、裏お茶会の猫の目が話題にならないという、ひぐらし演出の不発、もはやひぐらし演出で
どうかなるというレベルではない。
→「作者がひぐらし演出でどうにかしたかった」と貴方が判断した根拠は何だろうか。
■フェザリーヌが答え合わせをせよなどと言っているが、すでに竜騎士がインタビューで答えを出したくないと言っているので、
手遅れ。まともな人は答えが出ないと聞いて去っていった。ひぐらしも答えが出ない部分が多数あったので、
うみねこで残った人も答えが完全に出るとは思っていない。よってゲームになっていない。竜騎士の単なる自己満足。
→作者がインタビューで語ったのは、「ギリギリまで答えを出したくない」ということであり、「全く答えを出したくない」と言ったわけではない。
答えが完全に出るとは思っていない人が居るとゲームになっていないというのは訳の分からない理屈だ。
それに、まともな人は答えが出ないと聞いて去っていったのだとすると、去らずにエピソードの続きを読んでは的外れな批判をしている人もまともな人ではないだろう。
竜騎士理論と一般的に用いられる語句や概念との相違について
→悪魔の証明、ヘンペルのカラス、後期クイーン問題、シュレディンガーの猫といった言葉について、作者が誤解しているか、あるいは意図的に誤用しているのは事実である。ただしそれが作品内において作劇上矛盾なく存在しているならば問題ない。詐術の一種とかで。単純ミスの場合でも、作品の瑕疵ではあるが物語を根本的に損なうものではない。しかしながら、正直に言って下読み担当者が気づくべきところではある。