1988年の映画『マイク・ザ・ウィザード』(原題:The Wizard of Speed and Time)で特撮技術者の主人公が困難を乗り越えて製作した作中作(ストップモーション・アニメーション)の再現風動画。
原作はマイナーな低予算ドタバタコメディ映画であるが、映画への情熱と愛に溢れた讃歌というべき良作である。
MMDで動画を作成して投稿するようなアマチュア・クリエイターの共感を呼ぶような作品だけに、そのオマージュ作品の登場は必然であった。
原作とMMD両方への愛が詰まっている。
私はプレイしたことがないのだが、2005年発売のアダルトゲームに『 School Days 』という作品がある。
「やるドラ」系のフルアニメーションで物語が進行するタイプらしい。
Web で観た限りでは、予算が足りないせいかアニメというより紙芝居といった方が適切だが。
で、ストーリーは高校を舞台にした恋愛もので、主人公の男と二人の女子高生の三角関係がメインストーリーになっているらしい。
この『 School Days 』を有名にしたのは凄惨なバッド・エンディング。
私の知る限りでは、主人公を寝取られて精神を病んだ片方のヒロインが、もう片方のヒロインを白昼堂々、主人公の目の前で刺殺(頚動脈から血液噴出)。
あるいは、トラウマを植えつけるために主人公ともう片方のヒロインの目の前で頭から飛び降り自殺(地面に激突する直前に二人と目が合う)。
あるいは、妊娠したのに主人公に捨てられたヒロインが主人公を刺殺。
という具合。
『戦場のピアニスト』( The Pianist )は2002年のポーランド・フランス・ドイツ・イギリス合作映画。
残念ながら 日本でもアメリカでも BD 化されておらず、HD で楽しむには HD DVD で観るしかない。
当方は Xbox 360 のオプションの HD DVD ドライブを所有しているので、HD DVD を観ることができる。
BD プレイヤーも HD DVD プレイヤーも両方あって良かった。
『オリバー・ツイスト』で感心した絵づくりは、本作では一層インパクトが強かった。
監督自身も当事者で戦禍の生き残りだけに嘘を描きたくないからか、妥協を許していないように思われる。
ワルシャワの街並みやゲットーの様子など、セットなのか本物なのか区別がつかない。
圧巻は、クライマックスの破壊されつくしたワルシャワにシュピルマンが立ち尽くすシーン。
HD DVD のパッケージの表にも採用されているが、ドイツに存在した古い建物群を実際に破壊して撮影したのだというから恐れ入る。
ディテールの細かさは DVD ではなく、是非 HD 画質で体験するべきだ。
TV でよく見る第2次世界大戦当時の記録映像はモノクロのものが多い。
しかし、大戦勃発前の1935年には既にイーストマン・コダックによって実用的なカラーフィルムが市販されていて、カラーで撮影された映像が意外と残されている。
『カラーで見る第2次世界大戦』は、イギリスの TV 局カールトン・テレビジョンがそんなカラー映像を編集して製作した1999年の TV 番組を、NHK の子会社が日本語化したもの。
開戦当初から終戦までを各44分、全3巻で描いている。
映像に合わせて解説ナレーションと当時の人々が記した日記や手紙が読み上げられる構成で、『映像の世紀』と同様のスタイルだ。
最近の TV ニュースでは戦争やテロが起きても死体を映さないので、何人死んだと言われても実感がなく、数値化された記号のように思える。
いくら昨今の映画やゲームソフトがリアルな描写をしていると言っても、やはり本物の迫力には敵わない。
いくら美辞麗句で飾られようと、戦争なんかしない方がいい。
それを後世に伝えるために手っ取り早い手段は、この DVD を子供たちに見せることだ。
校長先生が全校集会で命の大切さを語る暇があったら、この DVD を子供たちに見せるべきだ。
トラウマになるくらい心に響くはずである。
『カリガリ博士』( Das Kabinett des Doktor Caligari )は1920年に公開されたドイツ映画。
トーキーが発明される前のものなので、モノクロのサイレント作品だ。
古典的映画の名作として名高いのだけど、ずっと観てなかった。
学生時代、大学図書館に LD があって観ようと思えば観れたのに。
著作権が切れているので近年500円の格安 DVD として商品化されていて、私はそれを買って観た。
ついさっき知ったのだけど、有志の翻訳家が日本語字幕をつけたものが web で公開されているので、買う必要は別になかった……。
残念ながら、本編の日本語字幕の誤訳は相変わらず修正されていない。
一言一言区切って喋ってくれるので、私の拙い英語力でも聞き取れるクライマックスシーン。
ロイが" I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost...in time...like...tears...in rain. Time to die. "と語る。
字幕では、「タンホイザー・ゲートのオーロラ そういう思い出もやがて消える 時が来れば―― 涙のように 雨のように その時が来た」となっている。
" C-beams "云々はアドリブの台詞らしいので謎だがオーロラじゃない何かだろうし、「涙や雨のように消える」という比喩はわけが判らない(「雨の中の涙のように」という訳が正しい)。
レプリカントが避けようと拘り続けてきた「死」の場面なのに訳に反映されていないのもよろしくない。
「ヤシガニ」事件とは、1998年に放送されていた TV アニメ番組『ロスト・ユニバース』の第4話「ヤシガニ屠る」で、放送に耐えない劣悪な質の映像が放送されてしまったという事件です。
以降、TV アニメ番組における劣悪な作画の代名詞として「ヤシガニ」という語が使われるようになりました。
詳細は「ヤシガニ屠る」で Web 検索すれば初回放送時の画像写真や動画記事を見ることができます。
後に DVD に収録された『ガンドレス』の特典として未完成バージョンが添付され、それが Web に流出し今なおこうして語り継がれるに至っています。
私も上映当時は『ガンドレス』の存在すら知らず、事件のことを知ったのは数年後。
最近になって未完成版を観ましたが、あまりの酷さに「コメディ映画でもこれだけ笑わないぞ」というくらい笑ってしまいました。
制作サイドからすれば、この未完成版に至るのですら悲惨な努力があって、笑うどころではないのでしょうけど。
『ガンドレス』において切ないのは、絵がちゃんと出来上がっていたとしてもつまらない凡作だったというところ。
近未来の都市で、美女5人がパワードスーツに身を包み、テロリストに立ち向かう――という新鮮味のない設定。
その美女5人がどいつもこいつも魅力に乏しい。
『 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の4年後の作品なのにチープな電脳世界の描写。
ストーリー展開も盛り上がりに欠ける。
そりゃ未完成での上映という失態をネタに売るしかないよな、と納得しました。
『ピクニック』( Une Partie de Campagne )は映画監督のジャン・ルノワールが1936年に監督を務めた映画。
天候に恵まれず撮影できないシーンが残ったままでフィルムが放置されていたのだが、映画プロデューサーが発見し、編集して1946年に完成させたといういわくつきの作品だ。
舞台は19世紀のフランス。
パリに住む一家がピクニックを楽しむため、馬車に乗って川の流れる田舎までやってくる。
一家の娘の婚約者も同行しているのだが、娘はその地で男と出会い、二人は恋に落ちる。だが雨に邪魔されてしまい、娘は帰ってしまう。
数年後、男は再び娘に出会うのだが、娘は既に結婚していて、男は恋が実らなかったことを知る――という40分弱の短編。
中断・再会・完結、という点で奇しくも男女の恋と映画作品そのものが合致していて、因縁めいている。
自然風景の美しさや恋の喜びを満喫する若い女の描写が見もので、物語よりも映像を味わうための作品だと思う。
DVD のパッケージのスチル写真にもあるように、娘がブランコに興じるシーンがあり、父ピエール=オーギュスト・ルノワールの代表的な作品「ぶらんこ」へのオマージュを感じさせる。
アニメ雑誌の「 AX 」にTV アニメの放送に先駆けて1998年の3月から連載が始まり、同年11月に連載が終了した企画。キャラクター原案や『 lain 』各商品のパッケージイラストを手がけたイラストレーター安倍吉俊がイラストを担当し、アニメ版の脚本家小中千昭がテキストを担当。アニメ版の世界観を伝えると共に、PS 版との橋渡し的な意図も込められている。
安倍吉俊のイラストは精密な描写とアニメチックでない重厚な色彩感覚が素晴らしい。私の個人的なお気に入りは、アニメ版本編で描写が簡略化された紅茶のシーン。最終回で孤独になった玲音が、幻想の中で父の幻影(=神?)に紅茶とマドレーヌを振舞われ、その優しさに嬉し涙を流し、現実世界への愛情を見出す。記憶を巡る物語である Marcel Proust の『 A la recherche du temps perdu 』に対するベタベタなオマージュである。
1998年に出版された公式画集『 an omnipresence in wired 』と2005年に出版されたその復刻版『 yoshitoshi ABe lain illustrations 』に収録されている。
この10年でも PC やネットワークの構造、ユーザーインターフェースなんかは根本的な変化がないので、10年前の作品といっても SF 描写に古びた感じが全然しない。目に付くのは CRT モニタやアクセラの設定(ベース・クロックが 100MHz )くらいのものだ。逆に、小中学生が電子メールやネットワークゲームを日常的に利用しているという設定は、1998年当時としては新鮮味があっただろうが、現在では SF ではない日常の風景と化している。CG の活用も、現在の製作環境では物珍しくない。
TV アニメ版『 serial experiments lain 』の首都圏での放送が終了した1998年11月、プレイステーション( PS )用ゲームソフト『 serial experiments lain 』が発売された。ただしゲーム版の企画・シナリオにも参加している小中千昭によれば、PS 版の製作は TV アニメ版よりも先行して着手されており、TV アニメ版が製作されるかどうかは確定的でなかったという。
TV アニメ版とゲーム版で題名は同じ。岩倉玲音という名の少女が登場し、彼女を清水香里が演じているのも同じだが、玲音以外の TV アニメ版の登場人物はほとんど登場しない。一つのシークエンスとして明確に描写される物語も存在しない。
残念なことに、本作は TV アニメ版とは違ってもはや中古市場でしか流通していない。私が何年も前に入手したときは、5800円の新品定価に対し、中古ソフト店で8000円程度の価格がつけられていたと思うが、今や概ね1万円から2万円程度の範囲内で取引されているようだ。版元がゲームソフト事業から撤退しているのと、CERO による倫理審査前に発売された作品で現在の倫理審査をパスできるのか不明瞭なことから、PlayStationStore によるダウンロード販売も望み薄である。
ロシアの『 lain 』ファンサイトに CD-ROM のイメージファイルらしきものがアップロードされているようだが、権利者の許諾を得ているかどうかは極めて怪しい。なお、正規にイメージ化した ROM は PS エミュレータ「 ePSXe 」では動作させることができなかったが、「 XEBRA 」では動作した。本作の動画・音声データはデータ形式が特殊らしく、「 PSxMC 」では未だにリッピングできない。
参考リンク
[game]PS版 serial experiments lain
http://materia.jp/blog/20051107.html#p02
悪夢のダウンロード~「serial experiments lain」がプレイヤーに与えるもの
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/sawa/lain.html
そういえば、『 serial experiments lain 』が世に出てから今年は10周年にあたる。
『 serial experiments lain 』とは何かというと、TV アニメ・ゲームソフト・雑誌連載を連動させたメディアミックス企画で、その名の通り「連続」( serial )的で「実験」( experiments )的な作品だ。
その内容を敢えてジャンル分けするなら、近未来 SF とサイコサスペンスとファンタジーの混合物とでも言おうか。
作中に登場する企業ロゴをこのサイトのアイコンに使わせてもらってるほど好きな作品で、DVD (北米版を含む)や音楽 CD 、公式画集やシナリオ本といった関連商品を買いあさったものだ。10周年という節目に語ることは私にとって最低限の義務かもしれない。
『 lain 』のテキストや脚本を手がけた小中千昭によると、企画が動き出したのは1996年の末頃のこと。その前年には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起き、TV アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が始まった。1996年は『エヴァンゲリオン』の放送が終了し、マスコミを巻き込んで「エヴァ・ブーム」が起ころうとしていた。閉塞的な雰囲気が漂っていた社会状況で生まれたそれらの事件から、精神世界への関心が高まりを見せていた。その一方で、携帯電話、 PC、Internet 、マルチメディアゲーム機といった情報機器が急速に普及し始めていた。そんな時代だからこそ『 lain 』の企画が生まれ、商業展開に至ったと思われる。
情報技術の発達に伴う社会と個人のボーダーレス化、経済のグローバル化という時代の変化をなぞるように、あるいは変化を予告するかのように、『 lain 』は「境界の破壊と結合」という実験を行った。
TV アニメ『 serial experiments lain 』
TV アニメ版の『 serial experiments lain 』は1998年の夏から秋にかけて深夜に放送された(私の住んでいた大阪では放送が翌年にずれ込んでいたと思う)。
1998年というのは、『エヴァンゲリオン』のヒットを受けてアニメブームが起き、 TV アニメ作品のビジネスモデルが大きく変わり始めた年だ。ロボットアニメや魔女っ子アニメのように、おもちゃ会社が作品に関連して制作するおもちゃの売上げによってアニメ作品の製作資金を回収するのではなく、作品を収録したビデオテープや DVD の売上げを中心としてアニメ作品の製作資金を回収する。それと併せて作品のマンガ化やゲーム化、グッズ化を進め利益を得る。マンガ作品やゲーム作品がアニメ制作の出発点であることも多い。そのために放送権料が安い深夜の時間帯にアニメ作品を TV 放送し、一連のコンテンツを宣伝するのだ。深夜放送ゆえの表現規制の緩さもあいまって、性表現、暴力表現、難解な物語性、難解な映像表現などを有したマニア向けの作品が多く作られるようになる。同時に、マンガ作品のアニメ化が安易に展開され、アニメ作品の粗製濫造が進んでいく。TV アニメ版の『 lain 』は、現在に至るまで続くその流れの初期に生まれた作品である。
一方、世間ではネットワークゲームのプレイ経験がある少年が少女に追われて自殺したり、追いかけてきた少女を殺害したりする事件が起こっていた。玲音の姉、美香(みか)は自動車が往来する渋谷の路上に立ち尽くす玲音の姿や、街頭の TV 画面に玲音の顔が現れるのを目撃する。玲音は雲間から現れた玲音の幻影を崇める子供たちの姿を目撃する。岩倉家の前には謎の黒服の男たちが現れ、玲音の監視を始めている。美香の前に「預言を実行せよ」というメッセージが現れ、時制の異なる二人の美香が邂逅し、美香は自我を失う。数々の事件には、謎のハッカー集団「ナイツ」の関与がほのめかされる。部屋いっぱいに改造と拡張を重ねた NAVI で玲音はワイヤードにアクセスし、事件の真相を追う。
この物語では、『トロン』『ニューロマンサー』『マトリックス』といった SF 作品とは違い、「コンピュータ・ネットワークが現実世界を模倣している」のではなく、「現実世界こそがコンピュータ・ネットワークの模倣である」という可能性が示唆される。コンピュータ・ネットワークの情報が現実世界を侵食し、人々の認識と意識がコンピュータ・ネットワークのように結合される。「人間の記憶は記録に過ぎない」というドグマのもと、コンピュータに保存されたデータを書き換えるように、人々の記憶や歴史が書き換えられる。
1998年は TV アニメの製作現場にコンピュータが導入された端緒期にあたり、コンピュータ・ネットワークの世界という本作の題材もあいまって、CG やデジタル処理された映像が随所に用いられている。制作スタッフにコンピュータ・マニアが多くいたことから、コンピュータ・マニアな視聴者を惹きつける、先進的かつ混沌とした独特な感覚の映像表現が多用されている。
第2話「コスモナウト」では舞台が種子島に移り、高校生になった主人公に恋した同級生の少女の視点から映画は展開していく。
主人公は彼女に優しく接するが、彼の気持ちは常に海の向こうの少女にあり、同級生に向けられることはない。
それを読み取った彼女は自分の恋が実ることのない恋であることを痛感しつつも、恋心を諦めることができず涙する。
基本的に現代劇であるこの作品で、ささやかながら SF 趣味が現れるエピソードでもあるが、この程度なら微笑ましい。
第3話「秒速5センチメートル」では再び視点が主人公に戻る。
都会の孤独の中で主人公は擦り切れていく。
ここでメインテーマ曲『 One more time, One more chance 』が響き渡り、ヒロインの少女を求め続けて彷徨う主人公の心模様が小刻みなカットのラッシュで描かれる。
まさに圧巻で、第1話、第2話はこのミュージッククリップ部分で叙情を一気に爆発させるための前座に過ぎないと言っていい。
私は本作を劇場で2回観て、DVD も初回限定版を予約購入した。
DVD では夜空を飛ぶ鳥のシーンでブロックノイズが見えるし、売り物である高画質がスポイルされてしまうのが不満だ。
しかし先日、4月18日に Blu-ray Disc 版と HD DVD 版が発売されるというニュースが流れた。
諸手を挙げて歓迎したい。
名前を書くと書かれた人物が死ぬという死神のノート「デスノート」を手に入れた大学生、夜神月が、法で裁かれない犯罪者たちを正義の代行者「キラ」として次々と殺していく。
謎の探偵、「 L 」の推理により「キラ」の容疑者として特定された月だったが、自らの正義を貫くために犯罪者でない者も殺めて「キラ」の被害者側になりすまし、ついに「 L 」と警察の合同捜査本部に接触することに成功する……というのが前編のあらすじ。
後編では、「 L 」の疑いを晴らして「 L 」を暗殺しようとする月と「 L 」の攻防が描かれる。
もう一人の死神ともう一つの「デスノート」の登場という予想外の事態にも、これを生かして「 L 」を撹乱し追い詰める月。
見事勝利を収めるかと思いきや、「 L 」の仕掛けた罠が待ち受けているのだった。
出会いのきっかけは大学時代、智也があおいのバイト先の同僚の女性にストーキングを働いていたことだった。
大学の映画サークルで自主制作映画を作っているあおいは、フィルム代欲しさに智也から1万円を受け取り、同僚との食事の場をセッティングすることを約束してしまう。
結局これは失敗に終わるが、このことをきっかけに智也は映画サークルに引き入れられ、あおいが監督する映画『 THE END OF WORLD 』の主演男優として出演することになる。
今度は主演女優に対し色気を出す智也だったが、主演女優が智也とのキスシーンを嫌がりまたも失恋に終わる。
結局あおいが主演を兼任して撮影をやり直し、映画は無事クランクアップした。
大学卒業後、あおいは映像製作会社に就職する。
上司が酒の席で発した激励を真に受けた彼女は、映像製作をより学ぶためアメリカ行きを決意。
欠員の穴埋めのため、卒業後定職に就いていなかった智也を会社に引き入れた。
智也は撮影の一環で参加した見合いパーティーで知り合った女性と同棲生活を始めるが、彼女が智也を騙していたことが判り破局を迎える。
その後智也はあおいが会社を辞めるつもりであることを知る。
智也はあおいを引き止めなかった。
そしてあおいは事故で死んだ。
弔問のためにかつての映画サークルの仲間たちがあおいの実家に集う。
彼らの前で『 THE END OF WORLD 』が上映される。
そしてあおいの部屋に足を踏み入れた智也は、彼女が自分に恋心を抱き続けていたことに初めて気づくのである。
映画の進行テンポはゆったりしていて、間延び感のある一方で大学生活の幸福なモラトリアム感がよく出ていた。
大学時代に自主制作映画を作っていた人には共感できる部分が大きいのではないかと思う。
ただ、クライマックスで『 THE END OF WORLD 』を全編上映するのは長すぎる。
いかにも学生制作のしょぼいシナリオと映像を再現しているのでちょっと苦痛を覚えた。
智也とあおいの二人が映画の中でしか恋人同士になれなかったこと。
『 THE END OF WORLD 』の結末があおいの運命と奇妙に一致していたこと。
その切なさを訴える意図は判るだけに惜しい。
「キラ」の存在を察知した ICPO は、顔や素性が一切不明の名探偵「 L 」に捜査協力を依頼。
L は日本の関東地方に「キラ」が居ることを特定し、日本に捜査本部を設置する。
そして巧みな推理を展開し、ついに「キラ」の容疑者としてライトを特定する。
一方、ライトもまた知略を駆使して捜査の手を撹乱し、犯罪者の粛清を続けていく。
このライト対 L の知的勝負がこの作品の見所だ。
今月はマンガ原作の映画がたくさん上映されるが、『ラブ★コン』もそうした作品の一つ。
一般にマンガ原作の映画というと原作以上の魅力を持つような秀作は少なくて、ガッカリ感を味わう方が多い。
しかし『ラブ★コン』については、たまたま Web で好意的な感想文を目にしたのと、原作を読んでいない分、自分の中に全く対比するようなイメージがないこともあって、思い切って映画館まで足を運んでみた。
この原作とアニメ版の差異は、アニメ版を DVD 化すれば克服可能ではある。
DVD の機能を使って間に TIPSに相当する映像を見るかどうか、視聴者に選択を迫ることができる。
そこまで原作に忠実にあるなら、アニメーションドラマ作品としては画期的な存在になると思う。
ただ、映像作品においてその手法が正解かどうかは判らない。
アメリカにおける1953年といえば、マッカーシー上院議員に端を発する「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた頃。
テレビ局 CBS の専属ジャーナリスト、エドワード・R・マローは自身がホストを務めるドキュメンタリー番組で、軍や CBS 上層部からの圧力を跳ね除けて公然とマッカーシーを批判、「赤狩り」の終焉に貢献した。
このエピソードを映画化したのが『グッドナイト&グッドラック』だ。
最近ワゴンセールでクラシック映画の DVD が1本500円で売られているのを目にする。
その中に、以前から「観なきゃなあ」と思っていた『市民ケーン』( CITIZEN KANE )があった。
もともとアイ・ヴィー・シーから発売されていたものを買おうかと思っていたのだが、「画質が悪い」との評判だったので買うのを躊躇していた。
まあ500円なら画質が悪くてもいいか、と思い購入したのだった。
ロアルド・ダールの小説『チョコレート工場の秘密』は有名な作品らしいのだが、児童文学とはあまり縁のない人生を歩んできたもので、読んだことがない。
その『チョコレート工場の秘密』を映画化したのが『チャーリーとチョコレート工場』( Charlie and the Chocolate Factory )。
面白そうだとアンテナが反応したので、「原作が有名」「ティム・バートンが監督」「チョコレート工場に入る話」という知識だけ持って映画館まで観に出かけた。