24 août 2010

『うみねこのなく頃に散 Episode 7 Requiem of the golden witch 』

『うみねこのなく頃に』シリーズ第7話の感想などを。
犯人はヤス。

今回のエピソードは作者が今までとは雰囲気が異なる、最も解答的なものと事前に言っていたとおり、明確に既存のエピソードとは異なる。
再び1986年10月4日の六軒島で殺人事件が起き、その事件について問答を行うというものではない。
今回のゲームマスター、ベルンカステルから最初に与えられる課題は、「誰がベアトリーチェを殺したか」というものである。
この謎に挑む役柄として、『ヴァン=ダインの二十則』をモチーフにしたキャラクターが招聘される。
彼は六軒島で執り行われているベアトリーチェの葬儀に赴き、参列者である右代宮家関係者から六軒島での殺人事件前の出来事について聞き取りを行う。
その右代宮家関係者の回想、証言が作中のほとんどを占める。

つまらなくて単調な魔法演出が少なくなっているせいもあるだろうが、随分読みやすかった。
しかしその反面、物語展開のメリハリ、盛り上がりがこれまでのエピソードに比べると乏しい。
読み終わったとき、「あれっ、もう終わりか……」というようなスッキリしない感じが残る。
読了に必要な時間も8時間程度で短かったように思う。

EP1-EP4で提示された個々の犯行についての解答は、プレイヤーを煙に巻くような曖昧なものであった。
この点について不満を表明する意見がネット上に散見されるが、私にとっては想定内のことだったからそれほど不満はない。
もちろん探偵小説のように逐一筋道の立った解答が展開されれば親切だしスッキリするが、それで物語が冗長になる恐れを考えれば納得できる。
作者の意向として、自分なりに答えを持っている人に優先的に答えが分かるように書きたい、答えをそのものずばり明示するのではなく読者が自分で導きだせるような表現をしたい、といったことをインタビュー記事で予め知っていたのも不満の少ない理由である。

あとは最終作のEP8において、残された謎を回収しつつ物語として破綻のないよう結末を迎えてくれることを望むばかりだ。

さて、ここでネット上でよく見かけるバッシングについて反論しておきたいと思う。

大前提として、『うみねこのなく頃に』は本格ミステリだとか、狭い意味でのミステリだとか自称したことはないということを理解しておかなければならない。
宣伝文句にも作中にもそのような記述は一つたりとも存在しない。
どちらかといえば、アンチミステリを標榜していると言った方がいいかもしれない。

「解答に必要な情報は出題編で全て読者に明かされ、回答は論理的に一つに限定されるように作られていなければならない」というのも、本作が本格ミステリあるいは狭い意味でのミステリであるという誤った前提に基づく誤った指摘である。
EP1の段階で語り手に全幅の信頼がおけるかどうか不明な物語であることが示唆されているし、EP2で非現実的な描写が頻出する以上、本格ミステリの暗黙のルール「地の文に虚偽を書くな」に反していることは明白だ。
さらに、作中で明確に要求されるのは「人間が犯行可能であることを一つの殺人についてでもいいから矛盾なく主張せよ」ということである。
「一撃必中を狙うのではなく、仮説を機関銃のように浴びせろ」という趣旨の記述も、一意に求まる解答の可能性を間接的に否定している。
推理という単語が使われているからといって、必ずしもミステリとして厳密な意味での推理を指すものではない。
仮定に仮定を重ねたような妄想、思いつきのような説であっても、矛盾がなく作中に手がかりさえあれば許される余地がある。
要するに、本作は作者が独自に設定した変則ルールでの戦いなのだ。

言い換えると、本作への批判の中には、前提を理解せずに思い込みで行われていたり、記述を読み飛ばしていたりするものが含まれている。
中には作品を実際に読まずに便乗して行われているものがあるのではないだろうか。

ただ、上記のような意見が出ると、「こいつは作品を無謬の聖典のように扱う信者だ」というように極論、曲解に出る者が現れかねない。
困ったものだ。

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