8 janvier 2008

2007年山陽の旅 呉編

2007年9月20日、JR 広島駅から呉線に乗って呉へ。

呉線は広島(正確には海田市)から瀬戸内海沿いに呉、竹原を経由して三原に至る路線。
全線単線だが電化されている。
車両はありふれた103系、105系、115系くらいしか走っておらず、あまり面白みがない。
臨時列車として運行されているキハ47の改造車「瀬戸内マリンビュー」が唯一目を引くが、時間が合わず乗車できなかった。


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ぼんやり海を眺めつついるうちに、呉駅に到着。

前を見ても右を見ても左を見ても後ろを見ても「くれ」「くれ」「くれ」「くれ」……貴様にくれてやるものなどないわ!などと考えてしまう自分はそろそろ人として終わってきていると思う。

地方都市に行くと大抵は駅から離れた国道沿いに大規模店舗があって、駅前が寂れているというパターンが多いのだが、呉の場合は珍しく駅前が開発されていて驚いた。
呉の駅自体、プラットフォームこそしょぼいものの、駅は駅ビルになっていて、スーパーマーケットや雑貨店や洋服店などのテナントが入っている。
で、線路を挟んで海側に行くと(建物は歩道橋で繋がっている)ここにも最近建てられたような綺麗な商業施設があって、ユニクロが店舗を構えている。
さらに歩道橋を海側に行くと、イオンとかサティとかダイヤモンドシティのような巨大なショッピングセンター「ゆめタウン呉」があり、この建物も最近建てられたように見える。
「プッ、これが夢ですか、ダサッ……」なんて言っちゃダメ。
言っちゃダメだから。
中国から九州北部にかけてイオンとかサティとかと互角に戦っている地元の雄らしい。
この「ゆめタウン」の店内を突き抜けると、呉市海事歴史科学館、通称「大和ミュージアム」がある。

この施設は数年前に開設されたばかりで人気を博していると聞く。
おそらくこの付近一帯で大規模な再開発事業が展開されたのだと思われる。
位置から考えて、貨物ヤードの跡地利用のような気がするけど、実際のところは判らない。

歩道橋から西側を見ると、巨大な潜水艦が地上に現れた。
これは海上自衛隊呉史料館の展示物。
ちなみに写真右手が「ゆめタウン呉」である。

地上に降りて博物館方向に行くことなく、歩道橋をそのまま進んで左手、フェリーターミナルに入る。
待合ロビーで弁当を食べようと思ったのだが、休憩スペースと称してテーブルの並んだ区画があったので、そこで昼食とした。

弁当は広島駅で買った「黒田の男気弁当」。
広島カープの黒田投手が2006年のシーズンオフに球団残留を決めたことを称えて商品化したものらしい。
いかにカープファンに感銘を与えたか察して余りあるが、その黒田も来シーズンからはアメリカに移籍してしまう。
賞味期限は短い男気だった。
ちなみに弁当の中身は彼の好物を集めたというのだが、ご飯のほかは肉・卵・たこ焼などで、野菜はほんのわずかしか入っておらず栄養的にとても偏っている。
もうちょっと野菜を食わないと、選手生命が短くなるのではないでしょうか。

胃袋が満たされたところで、大和ミュージアムの方へ向かう。

建物の前に設置されているこれは、戦艦「陸奥」の主砲の砲身。
中学生くらいの時にタミヤのウォーターラインシリーズの模型を組み立てたことがあるだけに感慨深い。
爪楊枝より細い模型の砲身も、実物となるとこの迫力。

呉は海軍の町として栄えた場所なので、ここから先はほとんどが軍関係の展示である。
戦前の呉の様子を偲ばせる様々な写真や道具、呉で建造された軍用艦船の写真や模型、戦艦に搭載されていたボイラーなんてものまで展示されている。
軍事マニアが喜びそうなものばかりが並び壮観だ。
花形の展示物は、「大和ミュージアム」という愛称からも判るように、戦艦「大和」についてのもの。
「大和」はここで作られ、ここから出発し沈没したということもあって、「大和」の建造時から沈没に至るまでの写真・文書といった資料や、沈没時の乗組員の紹介と遺品が展示されている。
彼らの死の延長線上に我々は生きているので、彼らに対し敬意を表することはやぶさかではないのだけど、特攻という作戦の愚かな面を直視せずにヒロイズムに酔っているような気がして、さすがに胸焼けしそうだ。
口直しに、戦後の呉で展開された造船・鉄鋼等の工業の展示がある。

この博物館の名物、「大和」の模型。
甲板の板材の傾斜まで再現したと言う凝り様。
写真に写っている人影と比べると、その大きさが掴めると思う。

大型資料展示室では、兵器の実物が展示されている。

これは多分、九三式魚雷の尾部。

出たっ、悪名高い人間魚雷「回天」!
こんなもんで戦争に勝てるわけあるかボケ、と毒づきたくなる。

これは手前が各種の砲弾、奥が一等巡洋艦「青葉」の主砲の砲身。

特殊潜航艇「海龍」。
2人乗りの「回天」みたいなもん。
水中を飛行機のように航行できるよう設計されているのと、両脇に魚雷を備えているの
が「回天」と違うところ。
単に突撃するだけではなくて、事前に魚雷を2発発射できるというわけ。
無駄な労力であることには変わりないけど。

「ジャパニーズ・ゼロ」ことゼロ戦ですな。
日の丸が毒々しく見える。

高性能なズームレンズがあればコックピット内も観察できそう。

建物の外に出て、戦艦「陸奥」の砲身の向こう側には、同じく「陸奥」のスクリューと主舵がある。
実物を見るとそのでかさに圧倒される。
確かに船がでかけりゃ、その分スクリューも舵もでかくしないと船は進みも曲がりもしませんわ。

車道を渡って、海上自衛隊呉史料館に到着。
ここは入場料不要。
まあ、何て太っ腹なんでしょう……って、要するに税金で全部運営されているだけやがな。

ここの室内展示物は、掃海作業に関するもの。
掃海作業の手法の解説や、掃海に用いる掃海船の装備が展示されている
戦争が終わってみれば日本の海岸いたるところ機雷だらけで、漁船が航行するのも商船が航行するのも大変な状態だった。
掃海作業が戦後日本が直面した課題の一つだったのだ。
また、現代では国際協力の一環として掃海作業は自衛隊の任務の一つである。
というわけでこのような場を設けて国民に自らの仕事を宣伝しているわけです。

屋外に展示されている潜水艦「あきしお」は、中を見学することができる。
軍事関係者でもない限り普通は潜水艦に乗る機会なんてないので、これはちょっと興奮してしまう。
ネモ船長やエレクトラさんが居たらもっといいのだがそれは無理です。

艦内に入ったところ。
さすがに無骨。

ハッチ。
重厚なハシゴ、ハンドルが萌えるなあ。

乗組員の寝床。
刑務所より酷い。
天井を見ると蛍光灯は赤いのと白いのがある。
潜水艦の中にいると昼夜の区別が判らなくなり体内時計が狂ってしまうので、昼は白い普通の蛍光灯を、夜は赤い蛍光灯を点灯させて昼夜を区別させるという仕組み。

乗組員の談話スペース。
これでもアメニティ上、艦内で一番マシな部分。

これは確か、階級の高い乗組員用の寝床。

艦長室。
一番偉い人の部屋がこの有様では、アメニティなんてものは望むべくもない。
時代が変わっても、人員の扱いは第二次世界大戦の頃から進歩してない日本の姿が伺える。

なお、ここから先の管制室は撮影禁止。
軍事機密の保持という奴ですな。
所持品検査をされるわけではないので、隠し撮りをしようと思えばできるだろうけど。

傾いた陽光に照らされて、黒く輝く艦体。
これぞ兵器の迫力。

潜水艦の錨はこんな形をしている。
初めて知った。
なるほど、普通の錨の形だったら水流が乱れて音が出るので、隠密活動をするのに都合がよくないもんな。

呉駅に戻る途中、山側を眺めていたら呉医療センターを発見。
こんなところにあったのか……。

呉駅から再び呉線に乗り、尾道を目指す。

三原までの直通列車はなく、全ての列車は広(ひろ)どまり。
列車の本数の上でも、広島と広の区間が広島のベッドタウンという感じだ。

列車はひたすら夕暮れの瀬戸内海岸沿いを走る。
脳内 BGM は「瀬戸の花嫁」。
思っていたより民家が多い。
造船業と漁業と周辺商業だけでこんなに食っていけるのだろうかと疑問が湧く。

部活帰りだろうか、遅めの帰宅途中の高校生が乗車する時間帯。
私の前に座っていた女子高生二人組。
片方が、もう片方に「やわらか戦車」の歌を教えている。
この Internet 時代にあっても田舎は情報の伝播が遅れるというのだろうか。
しかも旋律が微妙に間違っている。
ああ、間違いを指摘したい!
むずがゆさにうずうずするのを堪えて無関心を装う。


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列車は竹原に到着する。
脳内 BGM に竹原直隆の応援歌が流れる。
ららららーらーらーたーけーはらー……らーらーらーらーたーけーはーらー……
ここで2つの発見が得られた。
ふと駅の広告を見ると、「竹鶴」とある。
ピンと来た。
あの日本のウイスキーの父、竹鶴政孝の出身地だ!
さらに走る列車の窓から、アヲハタのマークが入った建物がちらりと見えた。
何でこんな辺鄙なところにアヲハタが?
調べてみてびっくり、アヲハタの本社は竹原にあるのだ。
竹原市が一気に身近な存在に格上げされた瞬間である。

三原だったか糸崎だったかで列車を降り、山陽本線の列車に乗り換えると、程なく尾道に到着。


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尾道に降り立って見ると、駅前の南西側が思いっきり再開発がかかっていて、酷く近代化されている。
国土交通省のサーバーにある1981年の尾道の航空写真と比べると変化がよく判る。

今夜の宿は尾道のフェリーターミナルの上層階にある「グリーンヒルホテル尾道」。
シングルで予約したのにサービスしてくれたのか、ツインの部屋だった。
15畳くらいはありそうな広い部屋なのはいいけど、寂しさが際立ちます。

もちろん窓からは海がすぐ見渡せる。
夜なので、ぼんやり対岸や渡船の明かりが浮かぶだけだけど。

夕飯を食べに外出がてら撮影。
駅前ロータリーの南側の海辺は、大林宣彦の映画『転校生』では桟橋みたいなのが映っていたような記憶があるのだが、今や洒落た遊歩道になっている。
アベックで夜の散歩をするのにいい感じだ。

尾道名物の渡船の一つ、フェリーターミナル脇から出ている渡船。

「折角港町に来たのだから、海の幸を食べる!」と心に決めて海岸沿いの通りを歩き、「絲魚」(いとい)という和食料理店に入る。
オコゼというものを食べたことがなかったので注文するが在庫切れ。
無念。
しかし、初体験となる蛸の生造りに対面して不満は解消した。
断片になっているのに皿の上に盛られた蛸がウネウネと動いている。
箸で取ろうとしたら吸盤が皿にひっついて離れない。
引き剥がして口の中に入れたら口の中にひっつくので、よく噛んでいると歯応えが心地よくほのかに甘い。
そして美味い酒。
生きてたら、こういう喜びもあることはあるんだよな、と慰められる。
この店名物の「つぼ焼き寿司」も上々だった。
板前の兄ちゃんには「どこからお越しになったんですか?」と話かけられ、兄ちゃんが福岡出身で、大阪、尾道と流れてきた人だと知る。
板前の世界の転職は脈絡が掴めない。

心地よく酩酊しつつ海岸沿いの通りをホテルまで戻り、就寝。

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