mai 2006アーカイブ

地下鉄の梅田駅から梅田ガーデンシネマやシネ・リーブル梅田へ向かう場合、貨物駅のヤードの下を通る長い地下道を歩くのが普通だ。
この地下道を私は「うつむきロード」と呼んでいる。
梅田ガーデンシネマやシネ・リーブル梅田で上映される映画には切なさややるせなさを誘発する作品が多く、帰り道は自然とうつむいてしまうからだ。

そして先日観た『ブロークン・フラワーズ』。
やはり帰り道で視線が下へ降りてしまった。

主人公は若い頃に恋人を何人も作った女たらし、ドン・ジュアンならぬドン・ジョンストン。
中年になりコンピュータで一儲けした彼だったが、無気力で家庭を持とうとしない姿勢に愛想を尽かされ同棲していた女性に逃げられてしまう。
そんなドンの元に、差出人不明の手紙が届く。
その手紙は彼と別れた女性からのもので、実はドンには息子がいるのだという。
隣家に住む友人の執拗な勧めに折れ、友人の立てた旅行計画に従って、ドンは差出人を探しに昔の恋人たちを訪ねる旅に出る。

上辺では嫌々旅をしているドン。
しかし内心では寂しいし、息子に会いたい気持ちがある。
訪ねる先々で、本当の目的を隠しぎこちなく探りを入れていく。
だが、かつての恋人たちは彼女たちなりの生活を築いている。
ドンが入り込む隙はない。
ドンを演じるビル・マーレイはニコリともせず、無表情がしかめっ面。
彼から放たれるゆるさ、ダメ男感、哀愁は秀逸。
ビル・マーレイを主演に置いたところで勝ったようなものだ。

ドンの視点のショットが繰り返されたり、ドンの「取り残され感」を強調する画面構成もベタとはいえ手堅い。
同じ構図で繰り返される飛行機の離陸シーンも妙に笑えた。

旅の導入部となるミステリーが観客を引き込む道具になってはいるが、その謎解きを求めて観るとガッカリすると思う。
まったり感、モヤモヤ感、脱力感とペーソスを味わいたい人向けなロードムービーだ。

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志村貴子のカバーイラストに惹かれて藤野千夜のジュブナイル小説『ルート225』を読んだのが昨年のこと。
本の帯に「映画化決定!」と書かれてたけど、本当に映画化するんかいな、もしかしてぽしゃったのでは?と思っていたら、本当に映画化されてました。
ただし、いわゆる映画会社系列の映画館でかかる映画ではなくて、単館ミニシアターでかかる低予算マイナー映画として。
大阪では十三の第七藝術劇場でのみ上映というのだから、マイナー具合も判るというもの。
ともあれ、原作もまあまあだったし、出会いという奴を大事にしようと思って映画版も観ることに。

映画版の筋書きも原作に沿ったもの。
14歳の女子中学生、エリ子は母親の言いつけで、帰りの遅い13歳の弟ダイゴを探しに行く。
ダイゴは公園で一人しょんぼりとしていた。
同級生にシャツの背中に「ダイオキシン8倍!」と落書きされてしまったのだ。
二人は共に家に帰ろうとするが、帰り道の様子が変わってしまっていて帰ることができない。
しかも道の途中で、死んだはずのダイゴの同級生に出会ってしまう。
なんとか家に帰り着いた二人だが、家にいるはずの母親の姿が見えない。
翌朝になっても、両親は家に帰ってこなかった。
エリ子が学校へ行くと、疎遠になっていたはずの同級生と仲直りしたことになっている。
死んだはずのダイゴの同級生がエリ子の後輩になっていて、しかも昨日連れていた犬は以前に死んだのだという。
ダイゴの持っている、高橋由伸の写真の柄のテレホンカードで家に電話すると母親が電話口に出る。
しかしやはり家に母親はいない。
二人はどうやらパラレルワールドに迷い込んでしまったらしい。
何とか元の世界に戻ろうとする二人だが、果たして戻れるのだろうか……というお話。

原作との対比で特徴的なのは、原作でははっきりそれと書かれていない部分を明確に観客に提示していること。
「ルート225」というタイトルは「√225=15」、すなわち15歳を迎える少女の成長を描いた話ということを示しているのだけれど、映画のしょっぱなで「√225=15」という字幕でそれが明示される。
映画の最後の台詞でも、再び説明が行われる。
演出面でも、最初はクールぶっていたエリ子が、次第に両親への依存心や弟への愛情を表に出す芝居になっていることは明白だ。
映像化されることで「えっ、これで話が終わりなの?」的な感じが弱まり、テーマが強く押し出されていると思う。

人間、年月を生きていると「あの時こうしておけばよかった」とか「何でこんなことになったんだろう」とかいうことが増えていくもの。
しかし大抵の場合、それを挽回することはできずに終わってしまう。
『ルート225』の姉弟はそんな人生の苦味に直面する。
パラレルワールドのおかげで、ある部分においては彼女たちは彼女たちなりにケジメをつけることができた。
日常に埋没していて見過ごしていた物事を自覚するとともに、後悔は後悔のまま受け入れて人生を送るしかないことを学んだ。
それが大人になるということだと、本作は改めて教えてくれる。

ダイゴ役の少年は私が原作を読んでいたときのイメージとは造形が違うけれど、そのダサさ加減は「よくこんな子を見つけてきたな」と思わせるほどハマっている。
主人公のエリ子役の少女はたどたどしさはあるものの、思春期の少女の心情と変化って奴をよく演じていたと思う。
将来頭角を現してくるかもということで要注目。

低予算映画臭さは拭えないし、原作に恵まれているだけかもしれないけれど、意外と良作、な気がする。

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16 mai 2006

『 RENT 』を観た

本年ミュージカル映画第2弾、ということで『 RENT 』。
舞台は1989年から1990年のニューヨーク。
アパートの家賃( RENT )を払えず立ち退きを迫られるほど貧乏だが、アーティストを目指し日々を送るボヘミアンな若者たちの青春群像劇だ。
主な登場人物のうち、2人はゲイ、2人はレズビアン、3人は HIV 患者、1人は麻薬中毒者と一癖ある連中ばかり。
彼らの恋模様が話の軸となる。

会話の多くが歌でなされていて、その唐突感というか不自然さはいかにもミュージカルだなという感じ。
しかし曲自体はなかなかノリがよく、ロック調なのが多いので自然と腕がリズムを刻みだす。
周りの観客は身動きせず大人しく観てたけど。

シナリオは冒頭に歌われる「525600分という時間を愛で計ってみてはどうだろう」というメッセージのとおり、恋愛賛歌。
カップルが3組もあるとちょっとくどくて、いまいち入り込めなかった。
あと家賃も暖房代も払えないのに電話が止められていないこととか、ダンサーの姉ちゃん以外バイトしてる様子がないのに飢えずに生きてるのとか、医療費や葬式代に困ってないこととかはどういうことなんでしょう。

そのへんをスパッと割り切れば、ミュージカル好きな人はきっと気に入るであろう一作だと思う。

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いつも映画館に映画を観に行くのは一人、という私だが、およそ2年ぶりに人と連れ立って映画鑑賞。
『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』です。

映画の舞台はメキシコとの国境に接するアメリカ・テキサス州からメキシコ。
ある日、荒野の遊牧地で野生動物に掘り出された人間の遺体が発見される。
メキシコから不法入国し、カウボーイとして働いていた男、メルキアデス・エストラーダだった。
何者かが彼を射殺し埋めたらしい。
メルキアデスの遺体は警察により再び埋葬された。
主人公の老カウボーイはメルキアデスとは友人で、「自分が死んだら遺体を故郷のヒネメスに埋めて欲しい」と頼まれていた。
メルキアデスを射殺したのは、当地に赴任してきた若い国境警備隊員だった。
家畜を襲いかねないコヨーテを始末しようとメルキアデスが発砲したのを、自分を襲撃するために発砲してきたと勘違いして射殺してしまったのだ。
犯人を知った老カウボーイは国境警備隊員を誘拐し、メルキアデスの遺体を掘り起こさせる。
そして馬に乗り、国境警備隊員とメルキアデスの遺体を引きつれ、ヒネメスを目指す旅を始める。

荒涼とした丘陵や山地が広がり、土ぼこりが舞うテキサスとメキシコの風景の乾きっぷりがスクリーンを覆う。
そこに現れるのは、豊かなアメリカを目指し不法入国を試みるメキシコ人たち。
田舎の退屈な暮らしに辟易しながら生きるアメリカ人たち。
旅の途中では、子供に見捨てられあばら家で一人暮らしを送る盲目の老人に出会う。
自分を殺してくれと懇願する老人の姿が苦い。
メキシコの集落では、ボロボロの建物に電飾が取り付けられ、調律の狂ったボロボロのアップライトピアノから音楽が流れる酒場に村人が集い酒を楽しんでいる。
経済格差の現実が重々しく突きつけられる。

旅の終わり、老カウボーイは約束を果たし、国境警備隊員に許しを与える。
懺悔を果たした隊員を放免し、一人去っていく。
友人を失い、誘拐犯として手配され、愛するカフェの女にも拒絶されて彼はどこに行くと言うのだろう。
老カウボーイの後姿に放たれた隊員の一言が、観る者の胸に深く沈んでいく。

出てくる俳優はみな好演しているが、特に老カウボーイ役のトミー・リー・ジョーンズが見せる狂的な執念深さは存在感たっぷり。
カンヌ映画祭最優秀男優賞も納得。

ミニシアター系の映画館でかかる映画が好き、という人にはオススメな一作と言えましょう。

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高校生の頃だったか、学校行事で和歌山県の加太駅を訪れたときにその駅の雰囲気が印象に強く残った。
和歌山市から単線の電車に乗って山間を抜けた先、漁港の町にあるのどかな田舎の終着駅である。
緑少なく閉塞感のある都会を離れてのんびりしたいな、と思ったときに思いついたのがこの加太。
WEB で調べてみると、加太の沖合にある友ケ島が観光地として知る人ぞ知る名所であるらしい。

加太は大阪湾の入口、紀淡海峡の紀伊半島側にある。
太平洋から神戸港や大阪港に入る船は、愛媛方面から瀬戸内海を通るルートを選ばない場合、全てここを通ることになる。
神戸や大阪といった都市を狙って海から攻めてくるであろう外国の軍艦も同様だ。
そこで明治時代、国土防衛の重要な拠点として、加太から淡路島の由良に至る紀淡海峡の一帯には軍により由良要塞と呼ばれる要塞が築かれた。
紀淡海峡を通る軍艦をここから砲撃し撃退しようというわけだ。
しかし時代は軍艦の時代から航空戦力の時代となり、神戸や大阪はアメリカ軍の空襲でズタボロに焼かれてしまうことになる。
日本を占領したアメリカ軍により、由良要塞の砲台は撤去された。
軍事拠点であるため民間人の立ち入りが禁止されていた友ケ島にも民間人が出入りできるようになり、観光地として開発される。
浜遊びやキャンプのほか、島中に残る要塞の廃墟が名物となっている。

というわけで興味をそそられ、連休を利用して友ヶ島を訪ねることにした私。
大阪の難波から南海電鉄の特急サザンに乗り和歌山市へ。
和歌山市から南海加太線に乗り換え加太に到着。
大阪から1時間半、長かった。
ちなみに運賃は930円、特急サザンの指定席料金が500円。

記憶の中の加太駅よりは少々こじんまりした印象。
しかしボロさ加減とか、白地の板に手書きの駅名標なんかがノスタルジック。

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