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2005年6月10日
『 Forest 』をプレイした
PC 用ゲーム売り場の片隅、アダルトゲームコーナー。
あるいは、アダルトゲームソフトの専門店。
情欲を喚起せんとポルノグラフィーがひしめくなかに、ひっそりと『 Forest 』はあるだろう。
2004年、ライアーソフトが世に送り出した、ノベルゲームの秀作である。
『 Forest 』の物語は、「お話を聞かせて?」という少女の声とともに始まる。
何者かが、少女に物語を語っていく。
かつて彼女が体験したであろう出来事を、彼女に思い出させるかのように語っていく。
そう、物語とは、語られるもの。
語り手と、聞き手によって作られるもの。
物語をめぐる物語、それが『 Forest 』という作品にほかならない。
舞台は現代の新宿。
その新宿が突然「森」という存在に覆われ始める。
「森」は「ガーデン」という幻想空間に主人公たちを集め、「リドル」という謎かけ、遊戯、あるいは罠に彼らを巻き込む。
「ガーデン」はイギリスの児童文学から多数のイメージを引用している。
『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』、『ナルニア国ものがたり』、『くまのプーさん』、『ピーター・パン』、『メリー・ポピンズ』など。
それらは決してノスタルジックではなく、不気味であるといっていい。
「ガーデン」へと集められた主人公たち5人の男女は「リドル」に翻弄される。
彼らにはそれぞれ、新宿から離れられない事情がある。
「リドル」での敗北は新宿からの追放、あるいは死に繋がるため、彼らは「リドル」を突破しなければならない。
「ガーデン」に集められたときに与えられた「ギフト」という能力を使いながら、彼らは「リドル」に挑む。
度々「リドル」に巻き込まれるうち、彼らは奇妙な友情を築き、「森」の正体に迫っていく。
そんな彼らを誘惑するのは、冒頭で物語をせがんだ少女であり、「森」のしもべであるトリックスター、「黒いアリス」。
彼女は「リドル」を操るようでいて、彼女自身もまた「リドル」に翻弄されていく。
一般にノベルゲームでは物語は主人公の一人称で記され、登場人物の台詞が声優によって演じられることが多い。
それは括弧書きの台詞の単純な読み上げである。
『 Forest 』の場合、叙述者が主人公の青年だけではなく、様々なキャラクターがそのつど叙述者となる。
そして叙述者の叙述、つまり地の文にも音声がつく。
さらに画面に表示された叙述へ掛け合うように、台詞として表示されない台詞が音声で語られる。
その野心的な演出は幻想の世界とあいまって、さながら小劇場系の芝居を観るかのようだ。
『 Forest 』の物語が展開するにつれて、「ガーデン」は作中の人物が生み出した物語世界であることが明らかとなってくる。
物語というものがそもそも語り手と聞き手の間で生々流転するものであるがゆえに、『 Forest 』の物語はマルチエンディングである。
その構造を「開ける」あるいは「明ける」からこそ主人公は「アケル」と名づけられたのではないだろうか。
では、「ガーデン」を支える「森」と「森」の意志とは一体何か?
それは『 Forest 』の作り手がプレイヤーに物語を語るという枠組みそのものだろう。
CD-ROM にプレスされたゲームソフトは――それはゲームに限らず、本や映画が語る物語も同様だけれど、人間の語りとは違って同じ操作を行えば寸分違わぬ物語を語る。
そこではもはや物語は固定的なものに見えるかもしれない。
だが「ガーデン」に用いられる文学作品の出典にプレイヤーが記憶を巡らせたり、物語に様々な解釈を加えたりすることによって、プレイヤーにとっての『 Forest 』というゲームの物語は様々な形をとっていく。
決して固定的ではない。
『 Forest 』はそこまで考慮に入れて構築されたメタフィクションだ。
多分そうだと思う。
一応アダルトゲームである。
濡れ場はある。
しかしそれは味付け程度のものであって、本質ではない。
『 Forest 』はティッシュ・ペーパーをお供に時間を過ごすゲームソフトではない。
プレイしながら使うのは下半身ではなく、脳味噌だ。
告白すると、私はイギリスの児童文学は殆ど読んだことがない。
『不思議の国のアリス』くらいは読んだことがあるけど、ディテールはほとんど忘れてしまっていた。
『ナルニア国ものがたり』は読もうと思って全巻セットを amazon.co.jp のショッピングカートに放り込んであるが、長らくそのままの状態になっている始末だ。
百科事典的な、一行豆知識的な知識しか持ちえずに『 Forest 』の物語をなぞったのだが、それでもニヤリと笑いながら楽しむことができた。
さすがにぐいぐい引き込まれて没頭するという訳には行かなかったけれど。
元ネタになっている作品を幼い頃に親しんだ人なら、恐らくもっと楽しむことができるだろう。
それに加えて、小難しい文学作品を好んで読み悦に入るインテリな人なら、さらにオススメできるだろう。
アダルトゲームというカテゴリーで流通しているだけに、書籍や映画とは違って名の知れた批評家がマスメディアで取り上げることは望み薄だ。
万人が楽しめるエンターテイメント作でもない。
恐らくは異色作としてゲームマニアの間でのみ語られ、そして忘れ去られていくに違いない。
だけども、もしあなたがこの文章を読んで『 Forest 』に興味を持ったなら。
アダルトゲーム云々は気にせずに、プレイしてみては如何だろうか。
あ、もちろん18歳未満の人はプレイしちゃダメですよ、一応。
元ネタの作品を読んで予習するに留めましょう。
投稿者 Dormeur : 2005年6月10日 01:13
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コメント
ナルニアは小学生でハマってたなあ。
訳はかの瀬田貞二。今となっちゃあ些か古臭いが、
「どろ足にがえもん」とか、やはり素晴らしい――映画版ぢゃ、どうせ翻訳されないんぢゃないかねえ――。
投稿者 黒猫亭主人 : 2005年6月12日 22:58
『ナルニア』映画化されるらしいですね。
余波で『 Forest 』も売れるといいなあ。
どですか、先生もプレイなさっては。
投稿者 Dormeur : 2005年6月15日 22:17
20年前の芝居のセリフに「どうもお世話にナルニヤ国」
とか書いたことを思ひだして赤面。
『Forest』プレイするにはヤブサカでないが、
フランス企業が、グローバリゼーションに乗っからうと
モンレアルに本社を移しながら――この手の本社移転は
多いらしい――発売した『シベリア』1、2(のフランス語版)
を途中でほっぽらかしたまゝやしなあ。
ゲーム的にはちっとも難しくないんやけどね、時間を捻出する
のが難しい。
投稿者 黒猫亭主人 : 2005年6月16日 23:28
ゲームは時間食い虫。
先生ほどになればなかなかお時間取れませんよねえ。
しかしながら廃盤になってプレミアがつかないうちに確保されることをオススメします。
あまり中古で出回りそうにないですから。
投稿者 Dormeur : 2005年6月20日 23:58

