11 février 2005

藤井寺球場の思い出

1月31日、藤井寺球場が閉鎖された。
じきに解体される予定だという。

日本生命球場、大阪球場、西宮球場、そして藤井寺球場――京阪神のスポーツを支えてきた舞台があっさり壊されていく。
しかも改築のために壊されるのでない。
地域から野球場が消えてしまう。

藤井寺球場は1928年の開設であり、日本にあるスポーツ施設の中でも屈指の長い歴史を持つ建築物だ。
閉鎖・解体どころか、大阪府が近鉄から文化財として買取り、改修を施して保存するべきものだと思う。
壊すことは作ることより遥かに簡単だ。

私が最初に藤井寺球場を訪れたのは小学生のときだった。
親に連れられて、藤井寺球場で組まれた近鉄バファローズ対阪神タイガースのオープン戦を観に来たのだ。
レフト側外野席あたりに座って、あまりおいしくない近鉄バファローズのマーク入り弁当を食べたのを覚えている。
天気のよい春の日だった。

次に訪れたのは1999年6月23日だった。
大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズの公式戦ナイトゲーム。
大学生になった私は放送局のアルバイトとして藤井寺球場にやってきた。
この時バファローズの本拠地は大阪ドームに移っており、藤井寺球場での公式戦は年に数回しか行われなくなっていた。
前日は早々に雨で中止を宣言したらすぐに晴れてしまい、抗議の電話が殺到したという記事が新聞に載っていた。
この日も空模様が怪しくて、阿部野橋から藤井寺に向かう電車の中、天気のことばかり気にかけていた。
ゲームは無事行われたが、翌日も雨天中止だったのだから、数少ない機会に恵まれたものだと思う。

晩飯は球場の関係者用食堂で食べた。
食べたのは丼物だったと思う。
プレイヤーたちも食事にきたりウエイトレスをナンパしに来たりしたと言う名物食堂だったようだ。
私は食事が早いのだけれど、無理に急いで食べていると勘違いされたのか、同席した解説者の岡義朗さん(現広島東洋カープ二軍守備走塁コーチ)に「そんなにかきこまなくてもいいよ」と言われたのが思い出深い。

折角の機会だからとこっそりフィールドに入ってみたが、やけにペラペラな人工芝で、人工芝というよりは、麻雀用のマットのようだった。
このとき、バファローズのゲームで場内アナウンスをして30年という大野博子さんにご挨拶した覚えがある。

放送席に上がるためにはまずエレベータに乗るのだが、そのエレベータが異常に遅かった。
確かエレベータから降りると記者席のあるところの高さに出て、そこから鉄製の階段を上がると放送席に着くという構造だったと思う。
放送席は狭いうえに、机は体重をかけると外れ落ちるから体重をかけるな、というほどのオンボロだった。

このときのゲームの内容は Web サイト「球場風土記」の「藤井寺球場」のページで詳しく紹介されている。
降雨による中断を挟みながらの、打撃戦だった。

その次に藤井寺球場を訪れたのは1999年10月7日、大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズのナイトゲーム。
藤井寺球場でのプロ野球公式戦最終ゲームである。
その話題性に加えて内外野自由席無料開放ということもあって、観客は多かった。
私はレフト側の席でマリーンズの応援に加わっていた。
当時はマリーンズのビジターユニフォームはグレーで、それに合わせてグレーの上着を着て行った。

応援団の人は金属製のゴミ箱をひっくり返して、その上に立って応援のリードを取っていた。
球場が狭いものだから外野手はよりフェンス際に守っているし、ドーム球場と違ってラバーフェンスが高くないので、外野手がすぐ目の前に居るような感覚がある。
レフトを守っていたバファローズの川口憲史に対し、誰かが「川口、ケツ掻くなー」としきりに野次っていた。
野次られた川口も「仕方ない連中だなあ」という表情で視線を外野席に送っていた。

この日のゲームはマリーンズの於保浩巳にプロ初ヒットが飛び出したり、代打の大村巌がレフトフェンス直撃のタイムリー二塁打を放ったりという場面があったが、バファローズのホームラン攻勢には敵わなかった。
そのホームランのうち、吉岡雄二のホームランが目の前に飛んできたが、なけなしのバイト代を使ってメガネを新調したばっかりだったので、「取り損ねて壊したら嫌だな」と思って躊躇してしまいホームランボールを取れなかった。
確かそのボールはベンチに傷をつけて跳ね上がり、勢いでブルペンに落ちていってしまったと思う。
後にも先にも、自分が取れる場所にホームランが飛んできたのはその一回だけだ。

藤井寺球場は外野席の手前ポール際にブルペンがあって、ファンはプロのピッチャーの投球練習を間近に観る事ができた。
その日はマリーンズ劣勢ということもあり、当時マリーンズのクローザーを果たしていたウォーレンが暇つぶしにと、車(ブルペンから内野までピッチャーを乗せて運ぶアレ)をブルペン内で乗り回して遊んでいた。
ファンもその様子を「ウォーレン、ウォーレン」と囃し立てて楽しんだのだった。

観客とプレイヤーの距離が近くて、暖かい雰囲気のある球場だと実感した。
その後二軍のゲームを数回観に訪れたが、バックネット裏からゲームを観るとファウルゾーンが狭いこともあって、一層強くそう思った。

そんな藤井寺球場も閉鎖された。
今にして思えば、藤井寺球場と過ごした時間は楽しい青春のひとときだった。
その記憶は死ぬまで大事にとっておきたい。

さて、この長文を最後まで読んだ人にプレゼント。
私がネットで収集した藤井寺球場の写真と映像の詰め合わせセットである。
主に 2ch BBS で撮影者が配布していたものだから、著作権上の問題はないと思う。

藤井寺球場の写真と映像の詰め合わせセット( 6.28 MB )

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