8 janvier 2005

なぜ『 Ever17 』をそこまで勧めるのか

『Ever17 - the out of infinity - 』をバッドエンディングまでクリアした。

普段いろんな物事にケチをつけてばっかりの私が、なぜ殊更に『 Ever17 』に執心しプレイを勧めるのか。それは、「コンピュータによるマルチエンディングなアドベンチャーゲーム」という枠組みを最大限に活用されることで物語が成立していて、プレイヤーに素晴らしいカタルシスを与える作品だからです。

マルチエンディングなアドベンチャーゲームをプレイする時のことを考えて欲しい。
ゲームソフト中の登場人物たちは、プレイヤーがゲームソフトをハードウェアにセットして駆動させることによって初めて具現化する。ハードウェアのスイッチを切ってしまえば、登場人物たちは消えてしまう。
「人生にリセットボタンはない」とはよく言われる言葉だけれど、ゲームソフトの登場人物たちは、リセットボタンひとつで何度もその人生をやり直すことができる。
セーブポイントが複数備えられていれば、そのセーブデータをプレイヤーがロードすることで、登場人物たちは過去にさかのぼったり、未来へ飛んだり、あるいは分岐した別の人生へ飛ぶことができる。
もちろん、ゲームのプログラムというあらかじめ定められた範囲内のことではあるのだけれど。

その間、プレイヤーは登場人物たちをずっと見つめている。同じゲームを繰り返しプレイしているプレイヤーなら、登場人物の未来や過去、あるいは別の人生を知っている。
しかし、ゲーム内の登場人物は、プレイヤーの存在を知覚することはできない。自分の未来や、あり得る別の人生について知ることもない。自分の人生を操る高次な存在=プレイヤーに気づかず、あたかも全てが自分の意思によるものであるかのようにエンディングまで生きてゆく。
プレイヤーも、登場人物に向かって「君はこれからこういう過程で彼/彼女と結ばれるんだよ」とか、「あのときこうやっていればそんなことにならずに済んだのに」とか教えてやることはできない。見ているだけである。

ゲームの登場人物に対して、プレイヤーは全知全能の神のようでいて、無力であるという位置にある。

マルチエンディングなアドベンチャーゲームの構造が持っているプレイヤーと登場人物のこの断絶を明らかにし、統合してしまったのが『 Ever17 』なのだ。
『 Ever17 』では、プレイヤーは登場人物と仲間になれる。そしてこの仕掛けは、小説や映画では作れないのである。

こう聞けば、何か凄いと思いませんか。

私が高校生のとき、「犯人は読者だ」というトリックを成立させたミステリー小説を読んで、こんな手があったのかと衝撃を受けたことがありました。
それから幾年後、私は「ヒーローはプレイヤーだ」という一見当たり前でいて成立困難なトリックを成立させたこのゲームソフトを経験し、衝撃を受けることになったのです。

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